うどん二郎 備忘録

長めの文章はここに上げます。メモ書き程度。

エドワード・ヤン監督作品の覚書

「恐怖分子」

強く紹介されたので観た。とても良かった。

格子状の細部(ex.壁や床のタイル、窓、道、縦横に切れ目の入った写真、本棚、さらには原稿用紙......etc)に多く彩られた映画。主役級の位置を占める夫婦の不協和をはじめ幾人もが多様な形で「接触」する大きな筋と、この虚構上の細部が密にシンクロしている。張り巡らされた「格子」の二方向の線と、それらの交点のように、各人は「交わろうとする」がゆえときに激しく衝突して、結末部のような結果になるのだろうか。
もうひとつの重要な細部である(何枚もの)写真が、叙述上の「カットの多さ」に絡んでいると考えるならば、この映画は表象芸術における「並ぶ」こと(「並ばせる」こと)の重要性を十分に示唆しているのではないか。カットとカットが「並ぶ」という連続性。この原理的な視線を忘れないでおきたい。
作品にテマティックな視線を送ってみることもできる。不良少女がカメラマンの青年の家で寝ているとき、くるまれていたのは「赤」の毛布だったし、であるからこそ暗室の「赤」が浮き立ってきて、結末部の鮮やかな「赤」に帰結する。さらに類似的な要素として、縦横に切れ目の入った写真が風にはためくシーンの直後、プールが映されるのは、「波」の比喩だったのだろう。テンポが非常によく、なにより(個人的にとても好きな)北野武の映画にも接続されるような「沈黙」の場面が多く、観ていて落ち着いた。べらべら喋りまくる映画より、こういう説明が少ない映画の方が好きになれる。

 

ヤンヤン 夏の思い出」

人生は辛いことや嘘ばかりだよな〜。誰かと誰かが出会えばすぐさま軋轢が生まれ、子が生まれれば煩わされ、そして死ねば多分誰かしらが悲しむ。それでもなにかに誠実であろうとすることの難しさ。腐らずに、あるいは少しばかり腐っても長くやっていくにはどうしたらいいのか。上品で優しいカメラが、いっときの救いを与えてくれるように思えた。時々怖いけどね。なぜか分からないけど、夜のビルを横に移動して映していくショットに、涙を禁じ得なかった。あと、ちょっとエロいのもいいね。

 

「クーリンチェ少年殺人事件」
完璧だった。
映画は〈すべて〉を語りうる。

 

台北ストーリー」
はじめのカットから「あ、エドワード・ヤンの映画だ」と感じた。他の作品と同様、格子状の細部やつながらない電話、捕まらないタクシー、それから「人生をやり直す」という主題などに、おおいに魅せられた。夜景のシーンで泣けるのはエドワード・ヤンの映画だけ。